母の口癖は、「うちは貧乏だから」でした。
でも今思えば、住宅ローンもなく、祖父の代から続く家があって、ちゃんとやりくりすれば1億円の資産は余裕でつくれた家庭でした。
お金は「なかった」のではなく、「消えていった」
父は生活費を入れませんでした。
酒・タバコ・パチンコには惜しまず使うのに、家にはお金を入れない。実家の生活費はほぼすべて、母と祖父が支払っていました。
外では「お婿様」として立てられていました。世間体のために、母は父を建てる側に回っていた。でも家の中は、ずっとギスギスしていました。
子供だった自分は、貧しいことより、その空気が嫌でたまりませんでした。お金がないことより、家族がギスギスしていることが、ずっとしんどかった。
保険が「愛情」になっていた家
母は保険にたくさん入っていました。「あなたたちのために」と。
でもそれは、保険貧乏でした。日本には高額療養費制度があって、医療費の自己負担は実はかなり抑えられます。でも当時はそんな知識は誰も教えてくれなかった。
「保険は正義」「一度入ったらやめられない」という空気の中で、お金は毎月保険料として消えていきました。愛情をお金に変えたのに、そのお金が守るものになっていなかった。
自分が後から「保険、見直せるよ」と伝えたとき、「そんなことはいいから、必要なものは必要」と少し嫌な顔をされた記憶があります。知識を持った人間が正論を言っても、刺さらないことがある。それも学びました。
お金の話は「汚いもの」だった
日本では、お金の話を家族でしません。特に昭和の家庭では、「お金を露骨に語ることは品がない」という空気があります。
でも、その沈黙が家族を壊していきました。
祖父がある日「ワシがごはんを食べさせてやってる」と言いました。本質は「一人では生活できないだろう」という意味だったはずです。でも父はそれを文字通り受け取り、それ以来、家のお米を食べなくなりました。
お金の話も、感情の話も、ちゃんとできる言葉を持っていなかった。その結果がこれでした。
自分が変わったら、お金の余裕ができた
若い頃は自分も、保険に何本も入っていました。知識がなかったから。
でもお金の勉強を始めてから、少しずつ変わりました。保険を最低限に見直し、クレジットカードをポイント還元率で選ぶようにし、口座を目的ごとに分けて管理する。地味な積み重ねですが、今は確かに、お金の余裕があります。
余裕ができると、実家のことも少し客観的に見られるようになりました。実家の固定費を見直して、火災保険をJAからネット保険に切り替えたら年間11万円以上浮きました。祖母がデイサービスに通う実家の固定費も、一つひとつ整理できています。
このブログで伝えたいこと
ブログ名「お金が守るもの」は、母への答えです。
お金は守れます。でも知識がなければ、守れるはずのものが守れなくなる。家族の笑顔も、老後の安心も、子供の選択肢も。
このブログでは、わたし自身が実際にやってみた体験をもとに、クレジットカードの選び方・口座の管理・実家の固定費削減・相続の備え方を書いています。
愚痴ではなく、解決策を。感情論ではなく、具体的な行動を。
あなたのお金が、大切なものを守れますように。
ゆるり