母が倒れたのは、突然だった。

病状の進行は速かった。病院から「覚悟してください」という話が出たとき、私は訪問リハビリの仕事をしながら、どうやって仕事と看病を両立させるか、頭の中がぐるぐるしていた。でも母は違った。

看護師として長年働いてきた母は、自分の体の状態を誰より正確に理解していた。余命の見当が、自分でついていたのだと思う。そして母が最初にしたことは、私たち兄弟3人に現金を渡すことだった。

「病院に来るのにお金がかかるでしょう。自分のことでお金の負担をかけたくないから、これを使いなさい」

約50万円だった。

祖父のときに、母は学んでいた

私がすぐに「それは正しい判断だ」と理解できたのは、祖父の葬儀を経験していたからだ。祖父が亡くなったとき、銀行に連絡した瞬間に口座が凍結された。葬儀費用をどこから出すか、家族が慌てていたのを覚えている。

だから母が倒れたとき、私は早めに動いた。口座が凍結される前に、必要になりそうな金額を準備しておく。祖父のときに目撃していなければ、私はこの行動を取れなかったと思う。

経験は、次の家族を救う。そしてその経験を、母は誰より深く知っていた。

実際にかかったお金は「医療費」じゃなかった

不思議なことに、医療費そのものはそれほどかからなかった。個室の入院費は高かったが、高額療養費制度のおかげで、1ヶ月の自己負担は想定よりずっと抑えられた。

実際にかかった費用で一番大きかったのは、交通費と食費だった。病院への往復。仕事の合間に駆けつけるたびの電車代。売店で買う食事。それが積み重なっていった。

費用の種類実際の支出感制度での補助
医療費(自己負担)月5〜8万円高額療養費制度で上限あり
差額ベッド代(個室)1日5,000〜1万円補助なし(任意)
交通費月2〜4万円補助なし
日用品・食費補助月1〜2万円補助なし
仕事休業中の収入減状況による介護休業給付金で一部補填

医療費は制度でカバーされても、「見舞いに行くためのお金」は誰も補ってくれない。母が現金を渡してくれた理由が、後から深く理解できた。

「お金のことしか考えてないのか」と言われた

早めに動いていた私に、ある日こう言った人がいた。「こんな時期なのに、お金のことしか考えてないじゃないか」

刺さった。でも今は思う。お金の準備をすることは、冷たいことじゃない。お金の心配がなくなるから、そこで初めて、人はそばにいることに集中できる。

お金の不安を抱えたまま病室に座っていても、心はそこにいない。母が現金を渡してくれたのは、そのことを知っていたからだと思う。看護師として、そういう家族をたくさん見てきたのだろう。

親が元気なうちにやっておくべきこと

母の経験から、私が「親が元気なうちにやっておけばよかった」と思ったことをまとめる。

  1. 口座の場所と種類を把握しておく
    亡くなった後に残高照会するには、金融機関ごとに手続きが必要。事前に「どの銀行にいくら」を把握しておくだけで、家族の負担が全然違う。
  2. 保険証券を一か所にまとめておく
    保険は「請求しないと出ない」。証券がどこにあるか分からなければ、受け取れるはずの保険金が放置される。
  3. 葬儀の希望を聞いておく
    「どんな葬儀にしたいか」「呼ぶ人は誰か」。話しにくいテーマだが、聞いておくと家族が楽になる。
  4. 緊急時に使える現金を把握しておく
    口座凍結前に動けるよう、どこに何があるかを知っておく。
🦉
「お金の話を親に切り出せない」って人、すごく多いですよね
🛡️
わかります。でも「終活の本が出てたよ」とか「友達の親が入院してさ」とか、きっかけから入ると話しやすいですよ
🦉
正面から「死んだらどうするの」って言わなくてもいいんですね
🛡️
むしろ遠回しのほうが、親も答えやすいと思います。「ゆるく確認しておく」くらいの温度感で

高額療養費制度——知らないと損する仕組み

入院が長期になるとき、最も助けになる制度が高額療養費制度だ。同じ月にかかった医療費の自己負担が一定額を超えると、超えた分が後から戻ってくる仕組みだ。

上限額は収入によって異なるが、標準的な所得の人(年収370〜770万円程度)なら、ひと月の自己負担は約8万円が上限の目安になる。それ以上かかっても、後から戻ってくる。

さらに「限度額適用認定証」を事前に取得しておけば、窓口で上限額以上の支払いが不要になる。入院が決まった段階で、すぐに加入している健康保険組合に申請することをおすすめする。

母が残してくれたもの

母は最後まで、家族の負担を考えていた。お金の渡し方も、タイミングも、すべてが計算されていたと、後から気づいた。

私はその経験を通じて、「お金を整えることは、愛情の形のひとつだ」と思うようになった。元気なうちに整えておく。そうすることで、残された家族が「お金の不安」ではなく「お別れ」に集中できる。

母が教えてくれたのは、お金の知識だけじゃなかった。準備することの、静かな優しさだった。

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ゆるり
リハビリ職の長男。片道2.5時間の距離にある実家で、88歳の祖母の介護と母の相続に向き合っています。看護師だった母が一人で守り続けた家と家族を、今度は自分が守る番だと思っています。母の遺産を新NISAや高配当株で運用しながら、介護・仕事・家族の思い出を両立させるための試行錯誤を、同じ悩みを持つ方へ届けます。